Bouquet!

暇な大学生です

絶対許さないって言え

思い出とも呼べないような断片的な記憶がある。小学三生生のとき、通学路沿いの用水路の淀みをじっと眺めていたことを今でも憶えている。こういった、自分でもどうして憶えているのか分からないようなワンシーンを、誰だって一つは持っているはずだ。君にだってあるだろ。

現在の自分を説明するための物語(人生と呼ばれる)を成立させるため、無意識のうちに修正されつづける他の記憶に比べて、こういう記憶の断片は修正を免れているように見える。それはそうだ。十何年前の用水路の淀みを、どうやって今の自分に結びつけるんだ?

そのため、自分の記憶(≒同一性)に自信が持てなくなったとき、人はこういったものを手がかりにして、何とか自分を取り戻そうとする。しかし、やはり他の記憶と同様に、こういった断片も修正を免れない。そこには今も必要な情報が付け加えられ、不要な情報が削除されている。俺が見ていた用水路の記憶も、実際にはもう元のままではないだろう。

これは受け入れがたいが、記憶というのはそういうものだ。

 

いくつかの感想を下に ネタバレが含まれているみたい!

 

おジャ魔女どれみ(無印、♯(映画含む))/東映アニメーション

キャラデザをハートキャッチプリキュアと同じ馬越嘉彦が手がけているので見た。これは、すごいぜ

明らかに、このキャラデザは過剰に記号的だ。棒が生えた箱みたいなずんぐり体型、丸すぎてほぼメロンパンみたいな手、そして春風どれみの髪型だ。参考資料を読むと、この記号性が意図的であることがわかる。

一話を観初めて俺は、このアニメはやはり記号性を楽しむものなのだと理解する。春風どれみは「ドジっ子キャラ」で、藤原はづきは「常識人キャラ」で、妹尾あいこは「関西人キャラ」だ。彼女たちは定められた役割をこなし(例えばどれみは「やっぱり私って世界一不幸な美少女なんだわ」と叫んで話にオチをつける役割を担っている)、俺はその様子を眺める。このアニメはそのように楽しむものなのだ、と。この時、俺は明らかにキャラクターを記号の集合としてしか見ていない。キャラデザにも話にも、彼女たちにリアルな部分は(クラスメートのマジのクソガキさを除いて)今のところ一つもないからだ。実際、この見方はしばらくの間うまくいく。

しかし二期(おジャ魔女どれみ♯)に入ってから、この見方に変化が生じてくる。どれみの母親は、どれみの頬を叩いて母親の役割を諭す(それにしても、おジャ魔女どれみの親は子供を叩く!)。藤原はづきは趣味でない洋服を着せてくる(そしてそれを言うとヒステリーを起こして泣き叫ぶ)母親のことを、それでも愛している。瀬川おんぷチャイドルの仕事が、母親のかつての夢を押し付けられたものであることをもう理解している。こうした場面を経験するにつれ、彼女たちに対する俺の印象はだんだん変わっていく。

極め付けは♯40話『春風家にピアノがやってくる!』だ。春風どれみの母親は事故でピアニストの夢に敗れており、幼稚園時代にその夢を押し付けられ、プレッシャーに押しつぶされたどれみはトラウマでピアノが弾けなくなっている。同じ失敗を繰り返さないため、どれみの妹のぽっぷ(彼女は、自分がピアノを習わせてもらえないのは、自分がどれみより愛されていないからだと考えている)にピアノを買い与えようとしない母親にどれみは言う、「買ってあげようよ、ピアノ」。

これは、何だ?

この時、俺はもう春風どれみを記号の集合としては見られなくなっている。彼女たちには感情があり、葛藤があり、(たとえば他者を思いやる)心がある。要するに、彼女たちは生きている!

ここにきてはっきりした。俺にとってのおジャ魔女どれみは、記号の集合だったキャラクターたちが生きた身体を獲得していく物語だ。三期の話になってしまうが、『も〜っと!』第10話で彼女たちは成長する生身の体を獲得している。これは驚くべきことだ(だって記号の集合が成長するだろうか?)。

 

敵は海賊・不敵な休暇、海賊課の一日、A級の敵、絞首台の黙示録、死して咲く花、実のある夢、Uの世界、ルナティカン、今宵、銀河を杯にして親切がいっぱい、過負荷都市、機械たちの時間、太陽の汗/神林長平

アグレッサーズを早く読みたいのに、シリーズを読み返すのが終わりません…

絞首台の黙示録…かなり良い。この本も神林が今まで散々擦り倒してきたテーマ「あなたがいて、わたしがいる(プリズム)」のバリエーションだが、構成が上手すぎて同じテーマの作品(今宵、銀河を杯にしてとか)と比べて異様に面白い。起きていること自体は東浩紀が解説で書いているように数行で説明できるのだが、登場人物が実は幽霊で自分の設定を自分で作っていたというツイストや、語り手の一人が実は存在しない(信用できない以前の問題だ)というミスディレクションのせいで話が400ページ近くまで膨れ上がっている。1ページで矛盾する登場人物の発言に最初はげんなりしていたが、中盤の種明かしからは一気に読み切ってしまった。神林長平は割と勢いで話を作っている節があり、終盤で物語が破綻することがよくあるのだが(「完璧な涙」とか)、これはギリギリ最後まで走り抜けた感がある。最後のシーンの意味はよく分からなかったけど。

敵は海賊・不敵な休暇…面白かった。太陽系一の海賊であるヨウメイを操ろうとする敵とそれに抗うヨウメイとの駆け引きがこのシリーズの魅力の一つなのだが、毎回突飛な設定でヨウメイが助かるので(今回はなんか謎の結界を張って助かった)、作者のヨウメイを絶対に操らせまいとする強すぎる意志に笑ってしまう。ただ、このシリーズがこれからどう進んでいくのかが気になる。初期の神林長平は何かに操られることに対する恐怖や悲しみがあったが(「踊っていないなら 踊らされているんだろうさ(狐と踊れ)」)、10年代以降の神林長平は諦念というか、むしろ操られることを肯定する方向に変化しているように感じる。80年代の神林長平の(おそらく)理想だった「絶対に操られない存在」であるヨウメイを、今の神林長平はどういう風に書くんだろうか?続きが楽しみ