Bouquet!

暇な大学生です

元気だったら連絡してね

院試が終わってしばらく遊んでいた。四国へ行ったり、サークルの合宿へ行ったり、おジャ魔女どれみを有り得んぐらい見たりしてたけど、そろそろ研究室へ戻らないといけない。気合い入れてかないとね。

 

おジャ魔女どれみの感想が下にある

 

おジャ魔女どれみ(も〜っと!、ドッカ~ン!、ナイショ)/東映アニメーション

全話見た。

それにしても、最終回だ!久しぶりにボロ泣きしてしまった。 前々回の記事で書いた「生きた身体を獲得するキャラクター」というテーマはこの最終話で極まる。

前にも書いたが、おジャ魔女どれみの面白いところは「話がすすむごとに、初めは記号の集合にしか見えなかったキャラクターの内面がリアルに浮かび上がってくる」という点だ。それを最もよく表しているのが春風どれみで、俺はもう初めのように春風どれみを「丸を三つ並べただけのよくある不幸キャラ」としては見られない。どれみは友達思いで、せっかちで、幼少期のトラウマがあって(そしてそれを乗り越え始めていて)、初めのころはいくじのないところもあったけどだけどだんだん成長して、意外と周りのことをよく見ていて、たまに危なっかしいぐらい自分のことよりも他人のことばかり心配して、…一言では言い表せないが、とにかく、やさしい人間だ。これは特に終盤で顕著で、49話「ずっとずっと、フレンズ」で、はづきは私立中学に入学する決断をどれみに打ち明けるとき、思った通り、どれみは絶対にはづきのことを責めない。はづきのことを一番思っているのは大親友のどれみだし、それに何より、ここまで見てきてわかっているように、どれみはそういう人間だからだ。一話で想像したような記号的なキャラクターでない、大きな器を持った優しい人間。最終話直前の俺にとって春風どれみはそういう人間だった。しかし最終話で突然、どれみはMAHO堂に引きこもる。卒業式に出席してみんなと別れたくないからだ(直前の50話でどれみはむしろ率先してそれぞれの道を歩くべきと言っていたのに!)。この幼さ! 結局のところ春風どれみはまだ小学6年生で、大親友(と娘)たちとの別れを受け入れるにはまだその肩幅は小さすぎたというだけのことだが、ここで突然どれみが俺の予想を裏切った行動をとるから最終話は面白いし、泣ける。

それと、(前書いたか忘れたが)おジャ魔女どれみで重要な「世界を描く」というもう一つのテーマ、これも最終回で極まる。

ハートキャッチプリキュア!おジャ魔女どれみ以外で、ただのモブキャラでしかないクラスメートの掘り下げにここまで時間を使っている作品を俺は見たことがない。(これは書きかけて止めたGo!プリンセスプリキュアの感想の一部だが)GO!プリンセスプリキュアが登場人物を主要なキャラに絞ってそれぞれの成長(≒物語)を描くのに対して、ハトプリやおジャ魔女どれみが描くのは圧倒的にどれみを取り巻く世界だ。おジャ魔女どれみは200話をかけてどれみたちの家族や先生、クラスメートたちの姿を描き切った。これが最終話、どれみが助けてきたクラスメートたちが、今度は逆に立て篭もるどれみを救い出すためにMAHO堂に集結するところで結実する。集まったクラスメートたち、俺は彼らの名前も悩みも好きなものもみんな言うことができる。ここでの俺の気持ちはたぶん(完全ではなくとも)どれみと同じだったはずだ。200話分の積み重ねのおかげで、どれみたちの世界にもう十分入ることができたからだ。製作者は視聴者が俺のようになることを完全に意図して作品をつくり、そしてやり切った。多分おジャ魔女どれみの最終回が泣けるもう一つの理由は、どれみたち主人公だけでなく、どれみを取り巻く世界ともお別れしなければならないからだろう。

間違いなく、この最終話がおジャ魔女どれみのピークだ。この先はない。